2025-12-13

家紋の授業

白とは京都の美大で日本の美を現代アートに繋げるためのコースを、大人向けに贅沢に再編成されたプラットフォームです。
美術家ミヤケマイさんが主宰されています。
京都駅から10分の大津にて築120年の建物を改修し、アーティストが手掛けた文人好みの空間でほぼ毎月5日間、開催しています。
今回は2026年1月5日(月)-2月8日(日)にて宙SORAで開催いたします、ミヤケマイ展に合わせて、1月22日(木)に東京版出張余白を開催致します。(ミヤケマイ展は休廊日もありますのでご確認ください)

家紋の授業 美術家 ミヤケマイ先生

2026年1月22日(木)1限 10:00-12:00 4500円

宙の別室「ソラノハナレ」にて 少人数制です  (宙近くのマンション一室です)
日本人であっても意外と知らない「家紋」について学びます。
家紋は、単なる装飾ではありません。
それはかつて、自分が何者であるかを示す’名刺’のようなものでした。

家紋を知ることは、日本人の暮らし方や時代の価値観、社会のしくみを知ることでもあります。
そのデザインには、家のルーツ、どの地域で、どのような仕事に関わっていたのか、さらには時に恋愛事情までが暗に含まれていることもあります。
普段なんとなく目にしている「紋」に込められた意味を読み解くことで、自分自身や家族の背景、そして日本という社会を新たな視点でとらえるきっかけになるはずです。
家紋の奥深い世界を、どうぞのぞいてみてください。

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12月23日(火)20時より
お名前様、当日繋がるお電話番号、ご希望講座名「家紋の授業」をお書き添えの上、

sora@tosora.jp

までメールにてお申込みください。

他の講座「着物の授業」「お茶の授業」「お食事」も合わせてお申込みいただけますので、他の講座もご希望の場合には、メールにお書き添えください。
先着順になりますので、場合によっては満席で受講ができない講座があるかもしれません。
お申込み後、数日中にご受講いただけるかどうかご返信させていただきます。
少人数制ですのでご希望に添えない場合には大変申し訳ございません。

受講いただけるメールの返信の際に、お支払い方法をお知らせ致します。できれば年内にお願いしたいと思います。
キャンセルは、代わりの方が見つからない場合には、そのままご負担をお願いします。

ミヤケマイ

2008年にパリ国立高等美術大学大学院に留学。
日本古来より現代に続く独自の感性を織り込んだ作品を用い、物事の本質や表現の普遍性を問い続ける作家。 媒体を問わない表現方法を用いて骨董・工芸・現代美術、文芸などの領域を横断し、作品は絵画のみならず、インスタレーション、立体、プロダクト、小説や詩まで表現領域は多岐にわたり、伝統と革新の間を天衣無縫に往還。

主な展示21世紀美術館、OPAM、水戸芸術館、POLA美術館、釜山市立現代美術館、神奈川県民ホールギャラリー、千葉市美術館。「お休みなさい。良い夢を」講談社、「色Colors」など短編2冊と、最新の作品集「反射 yin-yang」計6冊の作品集が出ている。EXPO2025 大阪・関西万博会場(静けさの森ゾーン 東側休憩所)にて作品展示。「大人の寺小屋余白」主宰。



ミヤケマイという名前は本名です。この仕事に入る時、日本語が母国語でない人でも子供でも読めるようにとカタカナにしました。それに加えて親にもらった肉体(ミヤケ)と自分独自の中身(マイ)がどこからどこまでが独自で、どこからどこまでが環境や親からもらったものかが、きちっと線引きできない状態の私がミヤケマイなのでミヤケとマイの間にスペースを入れず、ー語としました。同じように作品と人生は私にとっては同義語で、作品が人生に似ているとも、人生が作品に似ているのかな、などといつも考えたりします。おそらく私は色々なものを分化するのがあまり得意ではなく、全部のものが色々関連性を持って繋がって見えてしまう物事の見方なのだと最近は気がつき始めました。

私の作品作りに最も重要というか、作品作りの始まりになるのはいつも場所です。その場所に存在すべきもの、存在できるもの、そこで意味を持つものという観点から作品作りはいつも始まります。場所というのは私の中で大きな意味を持つものだと言えます。私自身が日本人の親から生まれ日本という土地に人生大半を費やしているので、作品の核となるものは日本の間合いや方法論や東洋哲学に影轡を受けた作品が多く見られますが、ただ単に和風というものには興味はなくそこに私自分や、他者の体験を通して感じた人間が持つ不変のものを探す時、リアリティーのある感覚や認知力が不可欠だからです。私にとって本当の意味で知るという行為は、細かく可視化できないものを含めて観て感じて、考えて、行動して初めて物事の存在や内容や意味を知ることが多少でもできるのではないかと思っているからです。


作家になってから、ずっと日本美術の書画という(文字で表されるものと、文字では表せないもののセット)のフォーマットを基軸に、世の中にあるもの全ては記号であるという理念の元に、常に何かしらの制約のある世界の中で、いかに時空を超えた人間の作り出す無限の物語を紡いでいけるか、スクラップアンドビルドで思考錯誤して制作していると思います。私はいわゆるマルチメディアと言われる分野の作家で、活動の場が工芸、現代アー卜、デザイン、プロダクト、文学、骨董、仕事の仕方もコントラクテッドワーク、アートディレクションなど多岐に渡ってはいるのですが、基本とてもシンプルにいつも同じコンセプトで、自分がみたいものを作るという仕事をしていると思います。

余白



大人になってから今更聞けないことや、学んでおきたかったこと、祖父母や父母に話や教えを乞うておけばよかったと思うようになったら、大人になった証拠とも言えます。

知らないということを知るまでに人は時間がかかるのです。

私達の中にはいつも、祖先が培ってきたものや風土が与えてくれるものが流れています。
それは私たちを産み育てた、自分の一部だからです。
自分を知り愛することは、人に愛されるよりずっと大切な事のように思えます。
自分と折り合いをつけるために、自分を知る、自分らしさを探すために自分の土台を探すことは何をするにも役に立つように思われます。

大人が幸せでなければ子供も幸せにならないという当たり前のことに気づき、大人とこれから大人になる人が自分やそれを取り巻く世界を理解するための入門編の講座です。

道のつくものや日本の習い事は入門したら師が亡くなるまで辞めることは難しいという慣例が重くのしかかり一歩前に踏み出せない方、自分の国のことをもっと知りたいと思ってはいるが、どこから始めていいのか迷っている方、もしくは一通り日本文化を経験して、流派を超え、俯瞰でお茶とは何か、美術とは何か、宗教とは、生きるとは、という大きな問いに答えるきっかけになれば幸いです。

それぞれの差を理解しつつ、共通の軸となるものはなにかを考えるように設計されています。
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